2012年5月21日 (月)

004 疲れたら、たっぷり眠れ

パソコンの調子が悪く、前回から、なかなかログインすることが出来ず、ブログの更新がご無沙汰という状態になってしまいました。(苦笑)

又、異動になってからというもの、日曜日というものが取れず、ようやく今日、日曜日という休みが取れたため、こうしてブログの更新をさせて頂くわけです。

さて、余計な話は、ここまでとして、今回も「ニーチェの言葉」より引用

自己嫌悪におちいいったときl何もかも面倒でいやになったとき、何をしてもくたびれて仕方が無いとき、元気を取り戻すためには何をすべきだろう。

ギャンブル?宗教?流行のリラックス療法?ビタミン剤?旅行?飲酒?

そんなことよりも、食事をして休んでからたっぷり眠るのが一番だ。しかも、いつもよりずっと多くだ。

目覚めたとき、新しい力が漲る(みなぎる)別の自分になっているだろう。

「漂泊者とその影」

2012年5月 9日 (水)

人の降り見て我が振りなおせ

職業柄というわけではないのでしょうが、比較的帰宅するのが遅い時間になってしまう私・・・・・。

というわけではないのですが、深夜遅くの電車内で、不愉快な光景を目にすることが多くあったりします。(苦笑)

先日も、某私鉄の車内で、不快な光景を眼にしてしまいました。

場所は、深夜遅くの車内。二十代と思われる比較的若い男性が、携帯電話を片手に、大きな声で、電話の向こうにいる、付き合っていると思しき女性を相手に、「どうしてお前は、常にシカトなんだよぉっ!!」と、椅子にふんぞり返りながら、話していたのです。

「シカトしている理由はなんだよぉっ!」「お前、俺だって、明日、朝早ぇしっ、!」「おめぇっ!ゴールデンウィーク、何してたんだよっ!」「「シカトしている理由は、なんだよぉっ!理由を言ぇっ!理由lを!」と、汚い言葉遣い、かつ相手への侮蔑の念がビシビシ感じる会話が聞こえてきてしまったのでした。

きたくない会話でも、嫌でも耳に入ってきてしまう状況・・・・・・。こういった輩を目にするのは、一度や二度ではなく、至るところで頻繁に見られる光景のため、もはやまたか・・・・・、というあきらめにも似た気持ちが湧き上がってきてしまうわけですが、それにしても身勝手な人間が増えてきたために、暮らしづらい世の中になってしまったものだとあきらめざるをえませんでした。

本当は、もっと皆さんに前向きなお話をした方が良いことはわかっていますが、どうしても誰かに読んで欲しくて、こうしてUPさせて頂いた次第です。

「人の振り見て、我が振りなおせ!」とはよく言いますが、私も似たようね次元に陥らないようにしなければと、ふんどしを締めなおすのでした。(苦笑)


2012年5月 8日 (火)

003 一日の終わりに反省しない

ゴールデンウィークも、気がつけばあっという間に終了。(苦笑)

毎度の事ながら、安楽な時間というのは、あっという間に過ぎ去ってしまうものなのだということを改めて感じたような気がしました。


今回も、「超訳 ニーチェの言葉」より引用。



仕事を終えて、じっくりと反省する。一日が終わってその一日を振り返って反省する。

すると、自分や他人のアラが目に付いて、ついにはウツになる。自分のダメさにも怒りを感じ、あいつは憎たらしいと思ったりする。大抵は、不快で暗い結果にたどりつく。

なぜかというと、冷静に反省したりしたからなどでは決してない。単に疲れているからだ。疲れきったときにする反省など、すべてウツへの落とし穴でしかない。

疲れているときは反省をしたり、振り返ったり、ましてや日記など書くべきではない。

活発に活動しているとき、何かに夢中になって打ち込んでいるとき、楽しんでいるとき、反省したり、振り返って考えたりはしない。

だから、自分をダメだと思ったり、人に対して憎しみを覚えたりしたときは、疲れている証拠だ。そういうときは、さっさと自分を休ませなければいけない。

「曙光」

2012年5月 6日 (日)

002 自分の評判など気にするな

今回も、「超訳 ニーチェの言葉」より引用。

誰だって、他人から自分がどう思われているか知りたいものだ。よく思われていたいし、少しは立派だと思われていたいものだし、大切な人自分間の部類に入れて欲しいものだ。だからといって、自分への評価を気にするばかり聞き耳を立てるのはよくない。

何故なら人間というのは、間違った評価をされるのが普通のことだからだ。自分が思うように、自分が望むように評価してくれることなんかほとんどない。

そういうのとは全然違う評価をされているのがまったく普通だからだ。

だから、腹を立てないためには、自分の評判や評価など気にしてはいけない。他人がどう思っているかなんてことに関心を向けては絶対にいけない。そうでないと、本当は嫌われているのに、部長だの社長だの先生だのと呼ばれることに、一種の快感や安心を覚えるような人間になってしまう。

「人間的な、あまりに人間的な」

「阪急電車~15分間の奇跡」

日ごろ、テレビなどはあまり見ないのですが、「ゴールデンウィーク」ということもあり、久しぶりにテレビで、「たまたま」放映していた「阪急電車~15分間の奇跡」というタイトルの映画をみました。

印象的だったのは、「誰もがどうにもならない悩みを抱えながら、日々を暮らしている。」といった「くだり」でした。

この映画の物語中で、一見不器用な生き方をしていたり、それぞれの悩み、苦しみを抱えている人々が、何の面識もない登場人物と心の交流をしていくということで、救われていくといった描写が、何だかとても嬉しくて、涙を誘う場面がありました。

ちょっとした「優しさや気遣い」を投げかけ、それぞれの登場人物の悩みに、「救いの手」を差し伸べる姿が、とても印象的で、とても気持ちが救われました。

私は、関東圏で暮らしている人間なので、なかなか阪急電車に乗るチャンスといったものに恵まれないのですが、それでももし、こういった登場人物が「阪急電車」の中にいるのであれば、私もその一員に混ぜてもらいたいものだと感じました。

その一方、わが身を振り返って、こういった何気ない優しさや思いやりを、見ず知らずの人たちに投げかけることが出来ているだろうか?と自問自答しました。

私もご他聞に漏れず、心のどこかで、世の中の人たちなんて、所詮、わが身のことしか考えていない人たちがが多いのだろうなんて、考えていた節がありました。

しかしながら、この登場人物の中に出てきた、中谷美樹さんや戸田エリカさんの台詞ではありませんが、「世の中、捨てたもんじゃないわよ。」といった言葉に、何だかすさんでいた自分の気持ちが、少々救われたような、そんな気持ちになりました。

最近、こういった人々の優しさや心遣いをされると、人知れず嬉しくて、隠れて涙を流しています。(苦笑)人を傷つけるのも人間なら、そういった傷ついた人たちの心を救ってくれるのも、また人間なのだと考えると、まだまだ日本人、いや人間も捨てたものではないのかもしれないと思いを新たにするのでした・・・・・・・。

2012年4月30日 (月)

001 初めの一歩は自分への尊敬から

このブログにUPするテーマに迷っていたが、今回から「趙訳 ニーチェの言葉」という著書より、自分自身を戒め、自らを高める手段として、そしてこブログに目を通して下さる読者のために、時間が出来たときに、書き連ねていくことにしました。

「初めの一歩は自分への尊敬から」

自分はたいしたことがない人間だなんて思ってはならない。それは。自分の行動や考え方をがんじがらめに縛ってしまうようなことだからだ。

そうではなく、最初に自分を尊敬することからはじめよう。まだ何もしていない自分を、まだ実績のない自分を、人間として尊敬するんだ。

自分を尊敬すれば、悪いことなんてできなくなる。人間として軽蔑されるような行為をしなくなるものだ。

そういうふうに生き方が変わって、理想に近い自分、他の人も見習いたくなるような人間になっていくことが出来る。

それは自分の可能性を大きく開拓し、それを成し遂げるにふさわしい力を与えることになる。自分の人生をまっとうさせるために、まずは自分を尊敬しよう。

「力への意志」





「趙訳 ニーチェの言葉」 白鳥春彦 編訳 より引用

2012年4月23日 (月)

嫌煙権とは・・・・・・。

ある日、食事のために、ラーメン店の入った日の出来事でした。数席離れたところに座っていた男性が予告なく喫煙をはじめました。その店は禁煙席が存在していなかったので、致し方なかったのですが、それにしても世知辛い世の中になってしまったものだと密かに思うのでした・・・・・。

ラーメン店というのは、一般的に禁煙席などというものがないのでしょうが、それにしても完全な禁煙席というものを、どのような形態の店であれ、完全密閉した喫煙席を用意し、禁煙席と隔離して欲しいものだと思わざるを得ませんでした。

特に喫煙者を非難するつもりはないけれど、非喫煙者には、嫌煙権というものはあっても副流煙を完全に防ぐ方法はないものなんだなと、悲しくなってしまうのでした。

2012年4月22日 (日)

今、思うこと

4月に突入してから、そろそろ一ヶ月近くの日々が過ぎ去ろうとしています。新しい環境になじみつつある人、なかなかなじめず困惑している人など、様々な状況ではないか?と思います。

まぁ、新たな環境に馴染みつつある人は、良いのですが、問題はそうではない人の場合、どうするのか?というのは、悩ましいところですよね。(苦笑)

以前、私が同じような状況に置かれたときは、もがき苦しんだ(苦笑)ものですが、今はもうこういった状況におかれても、もう以前ほど苦しみことが少なくなりました。

その理由は、次のようなものです。

一、自分自身の気持ちや心を安定させるために、どういう風な考え方や気持ちを保てばよいのか?ということを考えるようになったということ。

一、永遠に同じ状況におかれるわけではないということ。

一、自らの考え方や立ち位置を変えていくことで、自分自身の気持ちを安定させることが出来るようになったということ。そのことから、他人を変えようとする無駄な動きをしなくて済むようになったということ。

一、他人の言動がどうであろうと、自らのポリシーやぶれない軸さえあれば、他人の批判や非難は、受け流すことが出来るようになったということ。

一、一番大切なのは、結局自分自身の人生であり、自らが選択した選択肢であれば、それがどのようなものであろうと、そこから発生する多少のリスクは、納得が出来るものであるということ。


一、自らに悪い影響を及ぼしそうな考え方や自らを追い込むような行動を慎むようにしたこと。

などです。(苦笑)

2012年4月 2日 (月)

自らの変革と涙

このブログを書き綴るとき、ネガティブなことを書き綴らないということを信条に、毎回アップしているつもりなのですがそうは言っても、私も愚かな人間の一人である以上、心の中から時々ネガティブなものが湧き上がってきそうになります。


ネガティブなものが湧き上がってきてしまうということは、私自身に中に未熟なものがあるせいなのでしょう。従って、このネガティブなものをポジティブなものに変えるよう、自らの考え方や姿勢のあり方を変えていく必要があるように思います。

あまり書き綴りたくはないけれど、一人の時間が出来るようになると、何故か人知れず涙を流すことが多くなりました。それは感謝の気持ちからであったり、嬉し涙であったり、悲しい涙、悔し涙であったりするのですが、様々な理由から、涙を流すことが多くなりました。

涙を流すことは、心の浄化やストレス解消に良いと聞いたことがありますが、そう信じて、他人様がいらっしゃらない時に、涙を流し、気持ちの浄化を図ろうと思います。(苦笑)

私は、人間関係を築いていく上で、理想とするしている姿があります。それは、周囲の人たちを「何かを与え合う関係」を築いていきたいということです。世の中の動きを見ていると、奪いあったり、批判、非難といったネガティブな面ばかりが目に付くような気がするのです。

もしかすると、無意識下で、私自身のどこかにそういった面があるからなのかも知れませんね。気をつけたいと思います。誰に向けて書き綴っているのか?全くわかりませんが、何故かこんなことを書き綴りたくなったのでした・・・・・・。

2012年3月26日 (月)

ふと頭に浮かんだこと

日本経済が苦境に陥ってから、「失われた20年」という言われ方をして久しい。

「個人主義」や「自己責任」、「成果主義」など西欧諸国の論理を持ち込み、日本人らしさ、すなわち日本人独自のアイデンティティを失ってしまったというのが、その最大の原因ではないか?と個人的に考えています。

一部の人間の中には、「自由」や「個人主義」イコール「なんでもあり」などといった考え方と混同してしまう人間もいて、自分のことしか考えない人間が跋扈しているように思えてならない。世知辛い世の中になったものだと思います。

まぁ、こういった考えは私でなくても、皆が多かれ少なかれ考えていることと思うのですが、そろそろこのあたりの考え方や価値観も変えなければならない時期だと多くの皆さんが感じているのではないでしょうか?

今後、日本が良い意味で変わっていくためには、自分の周囲の人間が幸せになれるようなビジョンを持って、行動するようにしていけばあるいは、日本全体がより良い方向に買われるのではないか?なんて思ったりするのだが、やはりこういった考え方は、甘ちゃんの考え方だなどと非難されてしまうのでしょうね・・・・・・。

そんなことが頭に浮かんだのでした・・・・・。

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